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“生きる”という理念の意味。

代表取締役社長

大山 鐘慶

原点は、父の経営する小さなお店。

おそらく、会社の理念としては珍しいであろう“生きる”という3文字。言うまでもありませんが、この理念をつけたのには理由があります。がちゃぽんグループの原点は小さな小さなパチンコ店。父が経営していた、家族経営に毛が生えたようなお店です。私が物心ついたときから数名のスタッフは住み込みで働いていたため、みんなで寝食を共にする日々を過ごしていました。まさに家族のような存在です。そのような環境下で中学、高校へ進み、大学進学を視野に入れ始めた頃、いつも無口な父が、ポツリと私に言ったのを覚えています。「大学も良いが、店を手伝ってみたらどうだ」。特に目的があって大学へ行く訳でもないし、父の仕事にも興味がある。「だったら、しばらく手伝ってみよう」と、私はこの世界で働くことにしました。大きな転機となったのは、それから15~16年が経った1992年。私も30代半ばになった頃、父が他界してしまったのです。財務状況を知ることになったのは、その後。数億円の負債があることを知りました。相続を放棄することもできましたが、パチンコという商売に愛着があった私は覚悟を決めました。「この道で生きていこう」と。“生きる”という理念にはさまざまな意味合いが込められていますが、このときの心境ががちゃぽんグループの礎になっています。

生きるための接客。

バブル経済の流れもあり、当時のパチンコ業界は拡大の一途。大型化が進む中で、私たちは取り残されていました。お店を大きくすることも、電飾を増やすこともできません。そこで活路を見い出すために目をつけたのが接客。今でこそ当たり前になっていますが、当時の業界では“接客をする”という考え方がなかったのです。若い仲間を増やし、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と大きな声で挨拶をする。お客様にご来店いただいたらお辞儀をする。当たり前のことを、当たり前のように続けました。私を含め、スタッフ一人ひとりが“お客様のために何ができるか”を常に考え、行動していったのです。一例として、こんなエピソードがありました。最新設備を導入できなかったことから、夏場にはクーラーが動かなくなってしまうことも。その度にスタッフがうちわを配布するために店内を駆け回ったり、なかには店舗二階の事務所にある冷凍庫から氷を持ってきた者も。水を張ったバケツに氷を入れ、お客様の足元へ運ぶことで温度を少しでも下げようとしていました。とにかく、一人ひとりが考え、お客様のために動いていました。

人間臭いサービスが受け入れられたのでしょう。人が人を呼び、地域ではチョットした名物店になっていたと思います。経営が軌道に乗り始めたところで、次は働きやすい環境づくり。苦楽を共にした仲間へ報いるために法人化することで、規模を拡大していくことに決めました。規模が大きくなれば人が必要になります。人が増えれば、教育する人が必要になります。そう、既存スタッフがキャリアを、未来を描ける場所をつくるためです。立岩はもちろん、ベルグラッドも含め、今のがちゃぽんグループは、こうした過去の延長線上に存在しています。お客様のためになることが全てであり、私たちの生きる意味となっています。家族ともいえるスタッフ達が、ここで生きていけるように。一人ひとりの解釈は違って当然。ただ“生きる”という意味を考えて欲しい。そんな想いが、この理念には込められています。